生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ。

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中学生の時、国語の授業があった。

担当は加藤先生である。

すこし鼻の下が長い、猿のような顔で背は160cmくらいだったのでないか。

体は引き締まって、骨太のような感じがした。

黒板に書く文字が段違いでうまく、筆で描いたような字をチョークで描く。

本当にきれいだった。

イケメンでも不細工でもなかったが、文字が格好良かったので、なぜか格好よく見えた。

どんな事も面白そうに話すのがうまく、すぐに引き込まれる。

先生の授業は、最初に必ず雑談しながら黒板消しで黒板をきれいにする。

まず黒板消しをクリーナーで掃除し、黒板の上から順番に横方向へ移動しながらなぞって、次第に下がってくる。

文字通り黒光りした「黒板」に、白いチョークで抜群の文字を書く。見ていて気持ちがよい。

厳しい先生でもあった。

ある時、忘れ物をした男子生徒を職員室に呼び出して、私の目の前でその子のほっぺたをすごい勢いでひっぱたいた。

しかも叩くそぶりを全く見せず、突然ものすごい勢いでひっぱたいた。

バッーーーチーーーーン!!

叩かれると思っていなかった私は「おっお、、、、おお(そうきたかぁ)。」という感じて見ていた。

その瞬間「次は俺の番なのか」とも思った。

その子のほっぺたには真っ赤な手の跡が残り、歯を食いしばって堪えていたが、ほとんど泣いていた。

私は微動だに出来ず、ただ放心状態で突っ立っていた。

結局、私は叩かれなかった。

なんでも、その子の忘れ物は3回目だったからだと先生はいう。

これが「仏の顔も3度まで」か。

私の忘れ物は1回目か2回目だったんだと思う。

それから私は2度と職員室に呼ばれなかった。

良い教育になった。

先生の話はよく脱線する。

脱線した時の話は何故か面白い。

ある時、先生が奥さんのお乳を飲んだ話をしてくれた。

子供が生まれたそうだ。

そんな話なら中学生の生徒たちはもちろん食い気味に話を聞く。

ほのかに甘くうすい味だ、と言っていた。

数年前に元教え子と結婚したという。

奥さんが先生に惚れた気持ちが私にはよくわかる。

それだけ魅力的な先生だった。

しかし問題はそこではない。

「絞ったものを飲んだのか、直接吸って飲んだのか。それが問題だ。」

Drink the squeezed milk or suck the nipples
directly? :That is the question.

by Tatsuya Fujiwara who appeared on the stage of Shakespeare

このセリフを藤原竜也さんに言ってみてほしい。

先生はすこし恥ずかしそうに、なんだかはっきりしない態度で話したが、

要は「吸った」らしい。

中学生には刺激的な話だが、そんな先生が面白かった。

すでに50歳半ばを過ぎていたと思うので、遅い結婚だったと思うが、当時の私はそんなことわからない。

時々する貧乏話からすると「文学青年」だったんだろう。

国語の先生は面白い人が多かったように思う。その先生は特に面白かった。

私はいわゆる「理系」の道を進んだ。

姉は文学部を選んだ。

当時、視野の狭かった私は「文学とは、いわゆる小説を楽しむ世界の話で、なぜ学問として在るのか。」と理解できなかったが、今ならわかる。

どこかの大学教授が「文学とは生きていくために必要な感性や知恵を学ぶためにある。」という主旨の事を言っていた。

いまのコロナ渦にもしみる内容だ。

激務&パワハラで休職し、最前線から脱落した私にはよくわかる。

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